前の職場の同僚と言語学について語る

前の職場の人とビアガーデンに行こうとしたら、1時間半待ちといわれたので、とぼとぼとガードしたの飲み屋さんへ移動。そこでたくさん、話をしてきました。

前の職場の同僚と言っても、僕が英語を教えるにあたってとても影響を与えてくれた人で、単に教科書を教えるだけじゃない「面白さ」があるんだよって見せてくれた人です。

そんなある意味「先輩」が持ち出してくれたテーマが、「気づき」をどうやってもたらせばよいのか?という部分。

英語教育の目標は「コミュニケーションができる子どもを育てる」が文科省のやりたいことだけど、そんなの難しい。そうじゃなくて、「コトバそのものへの気づき」という言語観の育成に力を向けるべきじゃないか?というのは僕と先輩の共通理解。

じゃあ、どうやってやればよいのか?を悪戦苦闘しています。先輩はいろいろなことを現場で頑張っているけれど、こちらが思う以上の「気づき」を生徒は持ってくれないといいます。

そりゃ、100人に教えたら100人に「正確に」通じる話ってなかなかできない。ただ、「正確に」伝わったかどうかはテストして測れるものであれば話はまだ簡単。「言語への気づき」はスキルであって、測定しにくい。じゃあ、何をもってして「気づいて」もらえたか?という部分が気がかりとのこと。

面白い。
僕も言語の面白さをわかってもらいたい授業をするけれど、「やった感」を得られない。この国の国語教育を恨めしく思うし、言語発達の男女間の差も恨めしく思う。でも、恨めしく思ってばかりじゃダメだから・・・というループ。

先輩の名言。
「大学の先生が理論とか言ってくれるけど、それを現場でやって、研究していくのが自分の役割、アクティブリサーチャーでいたい」

ああ、僕も早く自分の役割というものを言語化したいもんす。

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