何が楽しくて学校に行くのだろう

中学校3年生の進路の状況を聞いていると「内申」というコトバが重くのしかかる。

実は成績は、クレームが多い近年はしっかり数値化して算出しています。だから、「ちゃんとやっているのに」は通用しません。「ちゃんと」は、教員側で項目化されています。おおざっぱな僕ですが、意外と細かくつけていたりします。

だから、テストで点数が取れたとしても、授業をちゃんと受けなければ上位をキープできません。そうしろと言ったのは文科省で、その評価方法を「到達度評価」というのですが、とにもかくにも、細分化された項目に対して成績をつけているのです。

というわけで、高校入試は当日の試験だけではつけられなくなりました。「内申点」も、合否にかなり影響を与えます。その「内心点」をつけるのが担任であり、各科目の教員であります。

たしかに教員間の差もあります。
思春期の子どもにとって、教員に対する好き嫌いで、授業に対する態度も変えるでしょう。でも教員としては、それを踏まえた点数を(まともな教員であれば)つけます。その生徒が好きであろう先生から言ってもらったり、保護者に「このままではまずい点数をつけざるを得ない」と、先に布石しておいたり。

その結果ダメだった場合は、やっぱり子ども自身の問題へと帰結してしまいます。昔は「そういう子もいてよかった」んだけど、今はダメです。たいていは親が出てきます。だから先に提示しておきます。

そうした結果を踏まえ、成績が悪い中学校3年生の夏休みは、教師としては「あがなえない現実」を突きつけます。点数の悪い子は、いくら当日の試験で高得点を取ったとしても、「内申点」を加味したとき、ダメな場合が多いから、「それは現実として厳しいですよ」と言わざるを得なくなる。当然です。

「あがなえない現実」を突然突きつけられた保護者は、やっぱり反発してしまうわけです。「そんなはずはない」と。そして担任は数値を持ってきて説得へとはかる・・・

そんな繰り返し。

そんなグチを職員室で聞きながら、じゃあさ、そもそも論になっちゃうけどさ、何で勉強したいのか、何で高校に行きたいの?それを、子どもに親は教えてきたの。そんなこを聞いてみたくもなる。

教員として、僕はそれを教えてきたか?
他は知らないけど、僕は目の前にいる中学校1年生には、「ひとつでもいいから好きなものを作れ」と伝えてます。マニアックな世界へと没頭できる才能があれば、ある程度世界に貢献することができる。

これでいいかどうかはわからないけれど、少なくとも成績と見比べて、設備を見て、「ここがいいんじゃないか」という選択方法は、やらないだろうなと思う。

いろいろ思いつつ、それでもやっぱり、成績から判断する人が大半なんだなと、中学校3年生の先生たちが座る島を見つめて考える夏休み。

ひとしきり上司と、「ありきたりの選択はつまらない」という話をし終えて、その上司が立ち上がった瞬間の一言。

「時間の問題だよね」

教育の現場は、ベテランがそう思うくらい、大変な方向へともう、突き進んでいるのかもしれません。

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ダウンタウンが司会をやってる音楽番組を見ていても、いまいちピンと来ず、最近の一押しは、何だか魂が感じられるトータス松本のこの歌。

ペプシバージョンもあるけど、ほんと心が揺さぶられる感じがする。何だろう、すごい。

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