大拙 禅を語る(しかも英語で)

「大拙 禅を語る」読了。

大拙 禅を語る―世界を感動させた三つの英語講演 (CDブック)
鈴木 大拙
アートデイズ
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1950年代にアメリカで行われた英語講演の、英語とその翻訳3本が入ってます。CD付きとありますが、収録は講演1本だけ(禅の哲学について)。

仏教について英語で語るってことは、それぞれの仏教用語を英訳しないといけない。仏教関係者が普通に使っている熟語を意識的に噛み砕き、文化が違う人に説明するわけだから、大拙はすごい苦労したんじゃないかな。でもそれが逆に、日本語に翻訳されたとき、さらにわかりやすい。

面白いのは、「自我」と「無我」いう部分の説明に多くのページが割かれていること。西洋の心理学もそうだけど、やっぱり「自我」というのはあって当然という意識が西洋文化にはあるんだろうなと、再認識させられる(言葉のレベルで言うと、陳腐な例だけど、英語は必ず主語を立てるのがそれかな)。

自我と無我の話を踏まえ、浄土真宗の話もしています。どうも大拙の晩年は本腰入れて浄土真宗の研究をしていたらしい。

大拙はこの講演の中で、真宗の肝である「本願」を「hongan」と日本語のままで理解して欲しいと語り、それは「本源的な仲介者(Original Agent)」であると説明し、アメリカでこう語っています。

この本願が形をとると、森羅万象となって現れます。もしキリスト教を仏教的に説明すると、キリストはこの本願の人格化であり、仏教の阿弥陀仏はキリストや神に相当します。阿弥陀仏は、本源的な力、本願の人格化です。

そして次に出てくるだろう疑問、つまり「私は神だ、仏だ」とか「私はあなたで、あなたは私だ」という話ではない、と大拙先生は明快に続けます。

阿弥陀仏は阿弥陀仏、我々は我々と、明快な区別があって、それは無視も度外視もできません。それでも本願そのものに関する限り、阿弥陀仏は我々に働きかけ、我々の中で働いていることを信じている。
「大拙 禅を語る」P.75

そして、それを論理として理解するのではなく、「直観」としてとらえて「わかる」ものであるとします。もちろん、それは普通の直観とは違う、般若智(超越的な直覚)によると言います。

この説明が、外国の人に理解してもらえるかどうか。興味があるけど、少なくとも僕は「仏教ってこうなんだ~」とわかった程度かも。

やっぱそれに比べて「禅」は、やっぱりわかりやすいかもですね。一度禅、やってみようかねえ。

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