12月27日

今日は朝は母校の中学校を通り過ぎ天神橋筋へ、そこから電車に乗って天王寺に向かった。気がつけば、思い出を埋めるツアーをしていて、ちょっと面白い。

中学校へ続く道すがら、自分はとことん、中学校が嫌いだったことを思い出した。気持ちと体がついてきていなかったし、中学校の同じクラスの一部とは本当に馬が合わなかったし。あわないけど、言葉で何とかなるはずもなく、嫌々ながらつきあうしかなかった。当時は不登校なんて言葉はなかったし、家にじっとしても仕方なかったから通っていたけど、よくまあ、がんばったと思う。

あと、先輩たちがとても怖かった。
原付で登校していて、その途中で蹴りを入れられたり、空き缶を投げつけられたり、カツ上げっぽいことがあったり。教室でじっとしているのが得策だったけれど、教室内も僕にとっては危険だったから、いてもたってもいられなかった。

そんなことを思い出しながら学校に到着してみると、「あれ、こうだったっけ?」という気持ちになる。そして記憶から抹消されていた、第二グラウンドを発見し、さらには学校の裏手が淀川の河川敷だったことも思い出して、何重にもびっくりした。

あいにく校舎には入れなかったけれど、外から何枚かの写真を撮る。僕が卒業した年に生まれた子供たちがいま、ここに通う中学生だ。世代は変わる、ただし、風景は変わらない。ここに埋めれた記憶はたくさんあれど、彼らは知らない。形のない思い出の墓地のようだ。そして今、僕はお参りをしている。

学校の裏の河川敷に行くと、相も変わらず、おじさんたちが生活をしていた。大きな川岸にそびえる青色のビニール。そして背の高い青い、名前も分からない植物が鬱蒼としている。近づいて挨拶でもしようかと思ったら留守で、仕方ないから、ご近所をぐるっと一周したら、やっぱりあった。ここを開墾して畑にして、自給自足している。いまは大根とか人参とか、根菜類っぽいものがあったけど、水は豊富にあるし、土地もある。寒さをしのげたら、悠々自適なんだろう。もちろん、市の土地だけど。

うろちょろしていたら、警備員にマークされる。そりゃ、一人で川岸まで行って浮浪者の家を見回り、切り株に腰をおいて川を眺めているんだから、怪しいかったろう。でもあまりにも寒いので、そのマークもすぐに終わり。僕は天神橋筋に向けて歩き出した。

天神橋筋商店街は日本で一番大きな商店街だと聞いてる。1丁目から8丁目までずっと商店街で、特に3丁目から5丁目あたりがモールもあって、商店がひしめき合っている。薬屋とパチンコ屋と食べ物屋ばっかりと言えばそれで終わるけれど、活気がすごい。その真ん中に、高校時代にバイトをしていたケンタッキーがある。そこでいろんないいこと、悪いことを教えてもらった。

というのも、僕の人生の中で唯一、一般的な「大学生」と関わり、高校生ながらその人たちに学生らしいことをさせられた場所でもある。もちろん、法律に触れない程度だったけど、むふふなことから、辛口なことまで、いろいろだった。一言で言うならば、欲望にまみれている人たちだった。目の前でそんなことするのかと、今思い出すと僕なら絶対にしないようなこともしてた。大学生ってこうなのか?と思って、進学したけれど、福祉学科だったからか、みんなまじめでがっかりしたのを覚えてる。

一番覚えているのは、阪神が優勝したとき、店前にカー寝る三ダースか隣のゲームセンターまで引っ張っていって、プリクラを撮ったこと。カーネルサンダースと撮れるってことで妙なことまで、行列ができたけど、丁重に謝って、定位置まで担ぎ上げて急いで帰ったのを覚えてる。もし、今やったらTwitterとかで指摘されて大炎上して解雇とかさせられてそう。のどかだったと思う。

そのカーネルサンダースの写真を撮って、商店街を突っ切って、南森町に到着。ここはFM802のお膝元で、中学・高校の時はよく通ってはバンパーステッカーをもらっていた。別にどこかに貼る訳じゃないんだけど、本当に好きでずっと聞いていたから、体中からあふれるFM802愛がなぜか本社追っかけという形で現れたらしい。同様にfm osakaにも通ったは言うまでもない。

でももう大人だしと思い直して、南森町から電車に乗って天王寺へ。天王寺は美術館や動物園、そして新世界・通天閣があるディープな街。本物の怖さと泥臭さを体験したいなら京橋に行くとよいのだが、僕とは縁がないので、今回は天王寺を歩く。そして、ここは幾度となくデートをしたり、遊びに出かけたりした場所なのだ。

お昼前に到着し、お昼ご飯を食べる。ちょうど目の前に宝くじ売場があったから、スクラッチを買って、当たったら天丼、はずれたらサンドウィッチ、ということにした。スクラッチは高校時代、びっくりするくらい当たってしまい、当たったお金のを使い道が分からなくて、しょっちゅうソフトクリームをごちそうしていた。今回も、きっと当たるだろうと思ってやったら、ビンゴ。100円と少額だけど、やっぱりはずれない。

当たったので、天丼を食べる。
これが後で痛い目に遭うんだけど、まあまあ、おいしく食べた。その後、変わり果てた天王寺駅を背にして、一路、動物園の方向へ。今回は通天閣に用事はないので、フェスティバルゲートへ。きっとそこにカフェがあるだろうというもくろみで。

泥臭い商店街、恵美須町あたりを抜けて、フェスティバルゲート辺りについたら、なにやら妙な感じがした。フェスティバルゲートとは、浮浪者が大量にいる地区にできた、総合複合施設で、ジェットコースターが有名だった。経営が危なくなり、大阪プロレスを誘致したり、いろんなことをしていたみたいなんだけど、ついたら解体工事をしていた。

どうも5年以上前に閉館したらしい。
その事実を知らなかったし、何よりここがパチンコ店になることにもびっくりした。浮浪者が多い地区にパチンコ店を作ったら、余計に大変やんか・・・。ほんま、大阪ってよくわからへん。

記憶にあるジェットコースターを思い出しながら、難波へと向かう。この後は、むかしネットを使ったコミュニティサイトで知り合った人と会うことに。たまたま連絡をくれて、たまたま時間が合っただけなんだけど、よく考えたらメールのやりとりはしているけれど、会ったことないなあ・・・とそこでふっと思う。

無事に会うことができて、当時の話から、今やっていることなんかの話を聞いて、これからどうしたいのか、などなど、いろいろ聞く。

初めてメールをくれたのが、彼女が高校生の時。当時、僕はメールで相談を受けるってのが仕事で、仕事柄、そのときからいろいろと大変な苦労をしていたのをやりとりしたのを覚えている。高校生用のサービスなので、卒業後はアクセス不可。なので「その後」はまったく知る由もなかったんだけど、今回会うことができて、いろいろ聞くことができた。

紆余曲折したことや、就職してからのこと、恋の話からいろいろ。僕自身も、その当時の裏話とかで盛り上がり、気がつけばお開きの時間。面白かったし、何より彼女がべっぴんさんだったのでとても緊張した。ミスなんとかってのに出てセミファイナルにまで残ったそうな。そりゃ残るだろうな、と思いつつ。

家に帰ったら家族が全員そろっていたので、とりあえず年末年始の確認をしながら、いろいろ話す。まあ、取り留めのない話ばかりなんだけど、母親がそろそろ60歳かなあと思って聞いたら、そうでもなくて、逆に怒られたりもして。何とかして大阪にまで出てくる用事を作らないと、なかなか帰ってもこれないので、隙をうかがわないとダメらしい。

まあ、そんなこんなでようやく東京に戻ります。
写真をいっぱい撮ったけど、iPhoneからだと相当面倒なので、帰ってからアップします。

それにしても、iPhone+Bluetoothキーボードでこれを書いてますが、とても快適。こんな長文も書けちゃうんだから、すごいもんす。

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