キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
筑摩書房
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大阪にいるとき、頻繁にでかけてはWebにその写真とか経験をアップしていた。
山とかお寺とか、ひいてはドイツとか。

そんな場所にでかけていたのは、夕方のニュース番組のローカルコーナーとか、
友達が誘ってくれたからとか、そこに行かないとダメな匂いがしたから(当時は
「こびとさんがいた」と重っていたんだけど)。得てして「人」が媒介に入ってる。

大学院に進学するため、故郷大阪を離れ千葉に引越してから、出かける機会が
まったくなくなってしまった。お金がなかった、というのが大きな要因だけれど、
「人」が媒介されなくなって、本当に退屈な日常を過ごしていた。

当時の僕は、友人と会うたびに「何をしたらいいかわからない、どこに何があるか
わからない、情報の仕入れ方がわからない」と言っていた。演劇にしても、映画に
しても、音楽にしても、全部そう。自分がどことつながればいいのか、教えてくれる
案内人が近くにいなかった。

そういう意味で、僕は旅先案内人というのが人生には必要だと、心底感じてる。
この映画が面白い、この音楽がいい、この場所に行くとこういう美味しいものが
食べられる。そういう情報が、必要だと思う。

「ちょっと待ってよ。そんな情報、Webを調べたらすぐに出てくるし、書店に行けば
たくさんあるじゃないか。」

たしかにそう。でも、それをすべて鵜呑みできますか?
たとえば、「食べログ」は数年前まで、本当に食が好きな人が集まっていたサイト
だけれど有料化したころから、妙に胡散臭い広告レビュー、写真が妙にプロ仕様
になって、その信ぴょう性ってなくなってきた気がしないだろうか。

僕がいいたいのは、情報を並べることではなくて、それを「個人」が取捨選択し、
人としてピックアップし紹介していく、美術館の学芸員(キュレーター)である。
「あの人が面白いっていうから、この本、読んでみようかな」という、この気持ち。

この本は、まさにこうした人と人のつながって共有されていく情報について、
そして「つながり」で消費する時代であることを、「キュレーション」という
「人力で情報を収集、整理、要約、公開、共有すること。」に視点をおいた本。
僕がずっと感じていたことをまとめてくれてます。

でも、昔からそれ以外の消費の仕方は僕にはできなかった。
例えば今でもよく見かけるけれど、「ブランド物を持っている私/俺ってすごい」
みたいな、物そのものに集団が持っている価値があるとして、「それ」を身にまと
うタイプの消費。物はたしかにいいんだろうけれど、僕にはちょっと理解できない。

むしろ「この部分に命かけて作ったんだけど、どう?」と言われて買うほうが、その
人のつながりもできて、その努力にお金も渡すことができて、嬉しい、みたいな。
ほぼ日手帳とか、いま生産者の見える野菜とか、被災地の物産を買うのと似てるかな。

ただ、それを生産者が言うのではなくて、キュレーターが情報を集め、紹介する。
その行為がやっぱり必要となってくる。そして、キュレーターの質も問われてくる。
そんな時代に、本格的に突入していくと思われる。

この本は、そういう意味ではさきがけだし、「キュレーター」といううまい言葉を使って
いるからすごい。ただし、別に買ってまで読む本じゃないかなというのが感想。
これまでのキュレーションの例を取り出して、今と比較してるんだけど、分析方法が
ちょっと浅い。読んでいて「そうかなあ、こじつけじゃないのかなあ」と感じるほど。
講演だったらいいけれど、ブログだったら、これでいいかな、と思えるレベル。
分厚い本なんだけど、全体的にそんな感じで続く。

とはいえ、この有象無象な議論がはびこるネットに対して、「キュレーション」という言葉で
切り込んでいった著者の視点は評価できるというかすごい賛同できる。僕が感じていた
「旅先案内人が欲しい!」というのは嘘ではないし、それを担う市井たちが、TwitterやFacebook
などを通じて活躍できる時代に、ようやくなったんだなという、夜明けを意味する
ひとつの区切りとなる本になっていくと思う。

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