20120309

投稿者: | 2012年3月10日

朝から超特急で用事をこなして行く。卒業式が二つあって両方に関わっているので、本当にバタバタする。

打ち合わせで『的確な生徒理解を』と言われる。とてもムッと来る。ムッとした理由も考えてみた。

普通の頭脳の持ち主なら、それが終わらない、答えのない問いであることにすぐ気づくと思う。何が的確で、何をして理解したと言えるのか、明確ではないから。この言葉の大切なところは、理解しようという努力が大切だと言いたいのであって、『できてる、できてない』は不毛な議論。それを議論に持ち出されるのでとても困る。

たぶん、教育において必要なのは福祉でもそうだけど、個々の課題の洗い出しとその支援かなと。そこがわからずに支援しても、お互いの充実感は得られない。教育はそれにプラスして教えたいこと、よくある言葉だと『到達目標』の設定。だからこそ『教えたいこと』があるから、普段の授業が大切だったりする。集団と個人を扱うから、さらには親の思いも汲み取らないといけないわけで、とても大変な仕事だと思う。

その中で『生徒理解が足りてない』と言われても、困る。じゃあ何をしたら足りてたんだろう?とか、これが必要だったという反省の視点が欲しい。反省の視点がないのに使ってたら、単に人を責める、言い換えると『お前はまだまだだ』というニュアンスになる。別にOJTの場面で指導されるならまだしも、会議で言われても困るし、イラっとする。

何だろう、こう、前向きではなく一段上からの発言だからこそ嫌なんだろうな。キャラ的によく下に見られることの多い僕ですが、噛んじゃうぞそんなこといってたら。そんな気分。

帰宅して、娘にひとしきり遊んで貰って、寝る。

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