心の奥底にいる、小さな生き物

By | 2013年8月5日

どのくらい久しぶりかわからないんだけれど、更新を再開してみようと思う。
今年、いよいよ33歳になって思うことは、昔ほど切れ味よく文章が書けなくなってしまったこと。昔は勉強したこと、感じたこと、考えたことをざっくり書くことができたけれど、今はいろいろな声が周りから聞こえてしまって「恥ずかしい」という気持ちがとても大きくなってしまった。

大人になったと言えばそれまで何だけれど、面白いことに、ある人がある人に批評をした文章を読んでも、なぜか甘酸っぱい、思春期の匂いがして恥ずかしく感じてしまう。ああ、この人は子どもなのかもしれないと。

そういう意味では、「大人らしい文章」を書けばいいんだけれど、それはとても体力を使うことでもある。子どもがいて、妻もいて、仕事も後輩が増えてきて、年齢とともに「やれること」が増えた一方で「やらないといけないこと」も増えてきている。そんな環境で、まとまった文章を書く、というのは本当に骨の折れる仕事でしかない。そうならないように、独り身でいたり、お金で解決したり、自分の時間が作り出せるように努力している人が本当にすごいと思う。僕にはできない。

でも。やっぱり文章にして何かを表現したい。形にしていきたい。
文章を書かなくなって、技術的に文章が下手になったのは痛いほど感じている。それ以上に、人生がつまらない方向に進んでいるのではないか、という不安を感じざるを得ない。昔に比べ、日々幸せに生きていることは確かだ。娘の笑顔、妻の何気ない一言、仕事でうまくいった経験、面白い本と出会ったこと。学生時代には感じられなかった幸せを今は感じている。でも、不安なのだ。人間はそんなにうまくできていない。うっかりすると、それが当たり前のことになってなれてしまうとか、うっかりして忘れてしまったりとか。自分の感じている今の気持ちに言葉を与え、物語を与え、流れをつけること。それに時間をかけること。たったそれだけのことなんだけど、それがあったからこそ、学生時代、うっかりするとつまらないはずだった時間が、今でも楽しかった思い出としてよみがえる。今はどうだ。具体的に、なぜか思い出せない。

学生時だとは違う。それはわかっている。そしてFacebookとか、Twitterで隙間時間に書いているのも知っている。でも、やっぱり、腰を落ち着かせて、まとまった時間をつかって文章を書くことと比べると、心の奥深くにある小さな生き物をつかみ取ることができるのはどちらか。雲泥である。

「時間がない」という物理的な条件があるのは知っている。けれど、心の奥底にいる小さな生き物を見つけられない自分への切なさには耐えきれない。この夏は時間がある。やることもたくさんあるけれど、がんばって文章を書いてみたいと思う。久しぶりなので文章が拙いかもしれないけれど、ご容赦あれ。

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