鬼が、内と外

By | 2013年9月30日

昨日の続き。
「魂の深い部分に触れる」という言葉が伝わる人と、まったくわからない人の差ってかなりあるような気がします。

いわゆる臨床心理学に関心のある人は、人の気持ちの学問(Psychology)をやっているわけですが、単に表面的な行動に関して興味があるのではないと思います(だとしたら、社会心理学とか実験心理学になる)。ただ、人の気持ちなんて「わかる」はずもないので、学問としていかがわしいし、科学でもないし、哲学でもない、中途半端な位置づけだったりもします。

ただ、何らかの行動が「魂が突き動かした」ものって、感覚的でしかわからないけれど、伝わってくるものがある。一見些細な雑談の中にも宿るそうしたもの。その中に、本当は大切な、何かが含まれているのではないか。そこを突き詰めて考えて、発展していったのが臨床心理学だと思います。

ただし。「魂」と言ってしまうと一気に胡散臭くなる。でも魂って、鬼が云うと書くように、この漢字を当てた理由は、昔話にルーツがある。魔界と現実界が曖昧になる場面で、鬼がよく登場するように、魂と人間の間には鬼のような「畏」な部分があった。そういう部分に普段からアクセスし続けるのはしんどいし、大変。だから、心に蓋をするというか、あまり触れないように生きていくのが人間だったりする。けれど、たまには触れないといけない。だから、生活のどこかで「魂」を感じ、突き動かされるときがある。鬼が、現実と魔界の間で動いてくれているのだ。

この話がさっぱりわからない人は、きっと「魂」は霊魂みたいなお墓に浮いていそうなもので、番町皿屋敷みたいな・・・と記号として読み取ってしまうかもしれない。そうではなく、エネルギーとして、内と外を介在するものとして、永遠に理解してもらえないなって思う。

僕としては、そういう「魂」に触れられる人が近くにいてほしいと常日頃思う。

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