10代の困難な状況を動かすのは教師か親

By | 2013年12月27日

仕事柄、不登校を抱える担任の先生と話すことが多い。多く会ううちに、良い先生とそうでない先生の性質が少しだけ見えてきた。端的に言えば、良い先生とは『動いている』こと。そうでない先生は動いてない。当たり前なんだけど、これがなかなかできていない。

動く良い先生は『急がず焦らず、賢く』がキーワードになる。動きすぎてダメな先生は「やり過ぎ」。例えば、毎日家庭訪問しちゃって、自分が忙しくなってできなくなって信頼を失ってしまうという。何がダメかというと、目的が目的的になるという、、、って奇妙な日本語なんだけど、家庭訪問する意味を見失っていることがダメな原因。動く良い先生は、家庭訪問を「気にしている」を伝える手段に使っている。なので忙しいときは手紙を出したりする(そして家のポストに入れたり、親に渡したりする)。また、運動会や合唱みたいな部分参加ができる行事に参加できないのはわかっているんだけど、声かけをする。「クラスの一員だから」という気持ちを伝える。それから、三者面談などの保護者が関わる予定を取りこぼさない。他の保護者から「面談があってね」なんて話がスーパーでなされ、「あれ、うちなかった・・・不登校だから?」と思い、親でさえ内気になり、弱気になっていく(または怒りに変わって行く)っていう循環になります。

「来てないからうっかり忘れていて」
この言い訳はよく聞きます。でも、それがバレたら関係修復も大変になります。また復帰のタイミングも遅くなります。復帰のタイミングが悪くなるとどうなるか。『あいつはなかなこ登校できない』と、不思議なものですが、生徒が悪いように思えてきて、「自分は悪くない」になるんです。結果、動かない先生になる。

なぜ学校を休むようになったのか、学校はこどもに問題があると受け止め、こどもは学校での人間関係に悩んでいたという認識のギャップです。
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くらし☆解説 「不登校追跡調査から見えてきたのは」 | くらし☆解説 | 解説委員室:NHK

しかし、最初は頑張っても、不登校の生徒、特に不登校になりたてのときは担任のストレスは半端ないです。押しても引いてもダメ。そうして、自分が役に立てていない無力感に襲われます。ただでさえ忙しいのに、何なんだよおい、みたいな。家庭訪問しても会ってくれない。会ったとしたもウジウジ言う。目の前では言わないくせに、親に自分の悪口を言う、親もそれに同意する。そんなことがあまりにも続くので無力感に襲われるのです。やって効果が実感できないことはやめてしまう。それが人間です。

しかし、不登校の予後調査(どうやらこの研究会のようなのですが)では、学校復帰に繋がらなかったけど、家庭訪問がとにかく嬉しかったという結果が出たそうです(委員である菅野先生が言っていた)。そして、10代の困難な状況を動かすのは『親か教師』なのだそうです。

とにかく、「良い先生」になるためには、支援の途中の無力感との戦いがポイントになる。現状では、チーム対応がそれへの解答になるんだけれど、現場レベルからすれば、それは人材という運に巡りあわなければ達成できない。現場があまりに忙しいからかもしれませんが、そんな逆境にも負けず、また今日も家庭訪問をする先生たちにエールを送ったりしました。

いずれにせよ、とにかく『生徒の問題』に落とし込むことだけは、何としても僕も含めてやらないように気をつけなければと思います。

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