古い技術の再発見

3年前の記事があったのでお蔵出し。
なんか偉そうなんだけど、まあそんなもん?あはは。

大学院への入学前、僕が思っていたことは「お寺でワークショップを開くこと」でした。人と人との出会いを寺でやる、ということに燃えていました。今思うと非常に恥ずかしいのですが、寺という空間に、何かしら意味を感じていたようです。また、トランスパーソナルという学問が好きで、自我を超えたところにある地平へのあこがれもありました。

当時の恩師である西光義敝先生に相談して、千葉大の先生のところ行けばいいと言われて千葉大の大学院へ。
大学院は夜間だったので、朝から夜まで図書館にこもって、本を読む生活となりました。

ケン・ウィルバー、アーノルド・ミンデルを始めとするトランスパーソナルに関わる本を片っ端から手に取りました。日本人のものも読みました。心理学だけでなく、哲学、社会学、宗教学など、とにかく関係のあるものに手を出しました。23歳だった僕にはさっぱりわからなかったのは否めませんが、とにかく読めば明日が見えると思っていたのです。

そして、片っ端から読んだ結果、「僕にはできない」という結論になりました。

恥ずかしながら、大学院に入るまで何か新しい理論や技法、論文を書いたり何かができると思っていました。若かれし万能感。読めば読むほど、自分の出来なさ加減が見えてきて、さらに多数の素晴らしい学者がああでもない、こうでもないと言うのです。そこで僕が何を考えられるのか。もう「出尽くした」のではないか。大学院2年生の直前の僕は、そんな絶望ばかりを言っていた気がします。

しかし、今思うと、それはちょっと誤解だった気がします。
インターネットの世界を見ると、たとえばTwitterやFacebookは「発明」だったのでしょうか。どう考えても過去にあった掲示板(BBS)の進化系です。Twitterは投稿できる文字数が制限され、フォロー、フォロアーがついたもの、Facebookも似たようなものです。ブログは投稿できる人が限定されている掲示板です。これは発明ではなく、使い方の新しい発見、「再発見」です。

トランスパーソナルに関わる述語は、僕が若い時に読んだ10年前とほぼ変化はありません。それは内容が素晴らしいのではなく、進化していないとも言えます。一方で「現場」でそれらの知見を活かして仕事や生活をしている人たちは、新しい使い方を発見し、利用されています。ソマティック・エクスペリエンス、インテグラル・ライフ、プロセスワーク、ハコミセラピー。もしかしたら、人間ってそんなに素晴らしいのではなく、ある物事の視点を変えて、生きていくものなのかもしれません。

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