こどものせきと、寄り添うことと。

投稿者: | 2013年12月26日


こどもの咳のおはなし ~お子さんの咳について知っておきましょう | 病気の知識 | 患者・ご家族の皆さま | シオノギ製薬(塩野義製薬)

月曜日からずっと娘が高熱&咳で苦しんでる。
日に日に弱っていくんだけど、近所のかかりつけ医は「明日でケリがつくはず」と、様子見。うーん、先生の余裕が正解なのはわかるのだけど、親としては苦しむ子どもを見てられないんですよね。治るだろう娘が咳き込んでいるだけで、そこに自分を重ねて、その苦しさを追体験している僕。幼いころに経験した喘息という魔の咳込みを思い出して、ますます苦しい思いになる。「まあでも治るよね、うん」という希望だけが、今のところ頼りになってる。

一方で、これが死に至る病だったら、絶対に違う対応になっているはず。当たり前なんだけども。
苦しむ人を見ながら、やっぱり自分を重ねて、心がキリキリ言う。そして「自分が世界から消えてしまう」へ不安に過度に巻き込まれ、「いなくなってしまう不安」という遺族側の苦しみから、いったい自分が何を感じ考えているのかわからなくなりそう。そして医者は死をいくつも見てきた余裕さもあって、現況での解決策を提示するのみになる。ここで患者と医者の邂逅が起こるんだろうなと。患者側の気持ちは「治ってほしい」「苦しまないで欲しい」とかそういう(身体的、精神的)痛みに依拠した処方箋なんだけど、医者は違う。それが悪いワケじゃないんだけど、死に対する経験の差が、遺族となる人達が残されてしまう、寄り添ってもらえないという不満で、どうにかなってしまうんだと思う。

ちょっとだけ、終末期医療に起こりえることを理解したような。

あと、単に娘が風邪を引いて、苦しい思いをしているだけなのに、それだけなのに僕はかかりつけの先生に対してちょっとした不満をいだいてる。ほんと、自分のこの気持ち、大丈夫かなと理性でなんとか保っているんだけど、これが肥大し、拡大したら、たぶんモンスターペアレントかもしれない。

そう、基本は傷ついているんですよね。
その傷つきに寄り添うことが、看病にも、対人関係にも大切なんだなあと気付かされる夜です。

(それから、ひたすらWebを検索する自分もいます。がんとか、そういったものでも、きっと調べつくしてしまうんでしょうね。辿り着く先はどこなんだろう・・・)

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