マルクス・アウレリウス『自省録』 2019年4月 (100分 de 名著)

「マルクス・アウレリウス『自省録』 2019年4月 (100分 de 名著) 」読了。テキスト執筆は「嫌われる勇気」を書いた岸見一郎さん。

ストア派のアウレリウスが何を考え、どう記したのか。後半からはアドラー心理学との関係性についても開設されています。ストア派はタフな面もあって、実践するのはメンタルの強さが必要ですが、実践あっての哲学!という意識がすごくあって、読み応えがありました。

以下、気になったフレーズの引用。
翻訳は岸見さんによるもの。神谷美恵子版の翻訳本は品切れで待っているところです。神谷さんがどう読み取ったのかも気になるところ。
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過ちを犯すものをも愛する事は、人間に固有のことだ。それは次のことをお前が思えたときにできるようになる。すなわち、彼らがお前と同類であり、無知のため心ならずも過ちを犯すということを、彼らもお前も束の間のうちに死んでしまうであろうこと、とりわけ、お前に害を加えはしなかった。なぜならお前の指導的部分(理性)を以前より悪くはしなかったから、と言うことを。

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お前が怒りを爆発させたとしても、それでも彼らは同じことをするだろう。

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怒らずに、教え、そして示せ。

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お前は何が気に入らないのか。人々の邪悪か。次の結論を心に留め、心を和らげよ。理性的な生き物は互いのために生まれたと言うこと。我慢する事は、正義の一部であること。人は心ならずも過ちを犯すと言うこと。

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復讐する最善の方法は、自分も同じようなものにならないこと。

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人間は互いのために生まれた。だから、教えよ。さもなくば耐えよ。

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誰かに親切をした時、その人に感謝してもらうことを勘定に入れがちな人がいる。別の人は、そのような事はないが、相手を心の中で債務者と見て自分がしたことを意識している。さらに別の人は、自分の行為をある意味で意識することさえなく、指をつけ、いちど自分の果実を実らせる後はそれ以上他に何も求めない葡萄の木に似ている。

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およそどんな美しいものもそれ自体で美しい。賞賛を自分の部分として持たず、それ自体で完結する。賞賛されるものがより悪く、あるいは良くなると言うものではない。

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判断を取りされる。そうすれば、害されたと言う判断は取り除かれる。害されたを取りされる。害された取り除かれる。

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他人が何かをするかしないかには何も求めない。

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絶えず波が打ち寄せる岬のようである。岬は厳として立ち、水の泡立ちはその周りで眠る。

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