「井戸の茶碗」は珍重された「高麗茶碗」のこと。
今はリサイクルショップと言うと、なんだか品がある感じはありませんが、当時はものがあまりないし、一つ一つを大切にしていたので、「屑(くず)」が商売にもなる。江戸の街はちょっとしたものも集めて、リサイクルしていたって聞いたから、穏やかな時代だったよなと心から思う。
落語の中では「クズなんて商売になるのか?」と、とにかくコミュニケーションでやり取りが進んでいく。値札とかじゃないんですよね。楽しいなあ。
志ん朝師匠が名演と言われているけれど、喬太郎師匠も冷静な噺を進める中で、笑いを着実に取りながら、前に進めていく。お客のペースを見ながら、一歩ずつ。
【井戸の茶碗】 柳家喬太郎